noshとの夕食戦争を俯瞰する

気づいたらTwitterがXになっていた。そんなXでnoshの話がバズっている。

note.com

 

私もnoshを1年くらい続けていて、現状は概ね好感を持っているので、かなりネガティブなバズり方をしているのが悲しくなってしまった。

そこで、私もnoshについての所感を書いてみる。これは個人の感想なので、あまりあてにし過ぎないでほしい。

 

noshについての感想

メニューについて

noshは冷凍弁当の宅配サービスなので、何はともあれ料理についての話を最初にしようと思う。

 

まず説明しておくと、noshは基本的に「主菜1品+副菜3品」の組み合わせが基本になっている。時々主菜が麺類だったりご飯類だったりするメニューもある。

そしてnoshは美味しいのか?という疑問については、「メニューによる」としか言いようがない。当たり外れが大きい、というのは結構正しいと思う。

 

当たり外れについては「主菜の当たり外れ」と「副菜の当たり外れ」がある。

「主菜の当たり外れ」に関しては個人的に明確な基準があって、

  • ご飯類、麺類は基本的に外れ
  • 揚げ物は衣が汁を吸わないやつなら大体当たり
  • 辛い料理は外れが少ない

という風に線引きをしている。

 

まずご飯・麺については、単純に食感がいただけない。米も麺も妙に柔らかく、食べ応えがなさすぎる。味付けの好みは人それぞれなので一概に評価できないが、食感については多くの人が同じ嗜好を持っていると思うので、この点で外れと言っていいと思う。

揚げ物について。noshは冷凍食品なので、解凍すると多かれ少なかれ水分が出る。これをコロッケやカツなどの衣が吸ってしまうと、「なんかモサモサして美味しくないな……」となってしまう。逆に唐揚げやチキン南蛮などは解凍しても水分がほぼ出ないか、出てもそれをほとんど吸わないので、思ったような食感の料理が出てくる。

辛い料理はそもそも辛いのが苦手な人にとっては外れなのだが、さいわい辛い料理を選ばなければいけないほど料理のレパートリーは少なくないので安心してほしい。逆に辛い物が好きな人は辛ければ多少の味の差はあまり気にならないと思う。ちなみにメニュー一覧には辛さの程度が4段階で表示されている。

よだれ鶏はちゃんと辛くておいしいのでおススメ。

 

それ以外の主菜については、個人の味の好みがあるので当たり外れの傾向はここでは述べないでおくが、基本的に味は濃いめになっている(解凍した際の水分を考慮している?)。ただし食感については、同じ食材・同じ調理方法の料理だとどれも似通っているので、1つ食べてみてあまり好きではないな、と思ったら継続は難しいかもしれない。

 

 

「副菜の当たり外れ」については、正直食べてみて判断するしかない。
どんな副菜があるかは詳細を見に行かないと分からない上に、同じ副菜が別の主菜にセットになっていることもほとんどないためである。まあそこまで量も多くない(せいぜい2~3口分くらい)ので「多少の好き嫌いは我慢して食べる」と割り切るほうが、主菜の選択肢が広がるのでいいと思う。

ちなみに私は記憶力が皆無なので、苦手だった副菜がどのメニューに入っていたかを次の日には忘れ、同じ商品を何度も注文しては「これ苦手だな~」と言いながら食べている。

 

システム面について

件のnoteにもあるが、noshは「1配送ごとに○食」というプランを選んで、それが△週間に1回届くというシステムである。食数は6,8,10食の中から、配送間隔は最短1週間、最長4週間の中から、それぞれ個人の生活に合わせて選ぶことができる。ちなみに2回目以降は20食プランも選べるようになる。

このシステムがもたらす最も大きな影響は、「○○日までに食べないと次が届く」という焦燥感が毎日の食事に生まれてしまうことだと思う。その時々の食べたいものを食べれないことがストレスになるのは間違いないので、この点でnoshを敬遠する人もいるとは思う。

 

ただし、noshにはスキップという機能があり、事前に次の配送を遅らせる、または1回分キャンセルすることができる。無限に延長できるかは試したことがないが、2週分くらいであれば普通に飛ばしても問題なかった。

とはいえ、1週間単位でしか配送はコントロールできないので、1週スキップすれば7日分の食事はnoshを頼ることができなくなる。各々の事情によってこのスキップをうまく使いこなすのが肝心だと思う。

 

コスト面について

細かい料金は公式サイトで確認してもらうとして、結局1食分いくら?という話だけをすると、10食プランなら送料込みで最終的に620円くらい。基本的にはnoshプラスご飯で1食なので、合計したら大体650円くらいになりそう。

自炊したらもっと安くできる値段ではあるが、レンジでチンするだけという圧倒的な手軽さがこの値段と考えると、個人的にはかなりお得だと思っている。

 

健康面について

コンビニ食とか外食とかに頼りきりになると野菜が不足しがちになるということを考えると、noshである程度野菜を摂取できるという点では健康には悪くはないと思う。管理栄養士とかでもないのでどの栄養素が足りているか、というところまでは気にしていないし、そこまで気にする人はnoshよりもサプリメントなどを利用していただく方がいい気がする。自分としては「野菜は一応摂ってる」という言い訳くらいの気持ちでnoshを食べている。

 

 

noshは人におすすめできるのか

結局noshはどんな人に向いていて、どんな人がnoshと戦争になってしまうのか。
個人的にnoshをおすすめしたいのはずばり、

  • 食事を日々の生活のタスクとしか思っていない人

これに尽きる。生活習慣病対策とかダイエットのために、という人よりも、こういう人こそがnoshを活用するべき。

具体的には以下の4点に心当たりがあれば1か月程度試してみると良いと思う。

  • 食事のための時間コストや思考コストをとにかく削りたい
  • "毎日の"食事に楽しさをあまり求めない
  • 同じものを高い頻度で食べても飽きない
  • 料理の味にこだわりがない

このうち下の2つに関しては当然思いつくnosh離れの理由なので、nosh側もある程度の工夫がされているように思う。メニュー入れ替えや限定商品などがその最たる例で、利用する方もこの2つのこだわりではそこまで苦労はしないと思う。

 

初めに話題にしたnoteの著者はnoshのことをかなり憎んでいるようだが、おそらく2番目の適性がなかったのだろう。毎日・毎週のどの食事をnoshにするかという工夫も続けるためには必要かもしれない。楽しくなくてよければnoshはかなり便利なサービスだと思う。

 

 

 

ということで、私は一応noshを一部の人にはおススメしたい立場の人間である。
初回3000円引、2回目2000円引になる紹介キャンペーンがあるので良かったら利用してみてはいかがだろうか。(以下のリンクから登録すると私にも3000円の割引が入るが、この記事の目的ではないのでこれを踏んでいただかなくても問題ない) → https://nosh.jp/share/friend-202103/eYKR9?inflow=copy&utm_source=invitation&utm_medium=copy

小型特殊免許をとった話

小型特殊自動車免許(以下、小型特殊免許)、皆さんご存知ですか?

小型特殊免許とは、文字通り小型特殊自動車が運転できるようになる免許のことです。

 

 

 

わたくし、先日この免許を取ってきました。

もちろん小型特殊自動車を運転するからではなく、大学の卒業とともに有効な身分証明書がなくなってしまったからです。

小型特殊免許が簡単にとれるコスパのいい免許、というのは色んな所に書いてある話なので省略して、実際に試験を受けてきた時の話を書こうと思います。

 

 

 

試験日までにやったこと

  • 証明写真を撮ります。免許用の証明写真ではなく、試験の申請書用の写真です。サイズは免許用と同じで大丈夫です。
  • 試験勉強をします。問題は原付のものとほぼ同じなので、基本は原付用の問題集で大丈夫です。

 

 

試験日当日のこと

  • 朝試験場に行きます。試験場についたら申請書を記入して手数料を払います。
  • 支払いが終了すると適性検査と称して視力検査と色覚検査をします。
    これを所定の時間までに済ませないと午前中の試験を受けられないので、朝は早めに到着することをお勧めします。上の手数料支払いでめっちゃ並ぶとかもあり得るので。
  • 検査が終わると、先ほどの申請書を窓口に提出して受験票をもらいます。
    小型特殊は受験者がマジで少ないので、大体「え、小特?」と言われて窓口の向こうが慌ただしくなります。でもまあしっかり対応してくれると思うので大丈夫でしょう。
  • いよいよ試験室に入ります。おそらく原付や自動二輪などと同じ部屋に入ることになると思います。室内では携帯の電源切るとかなんかいろいろ説明されます。従いましょう。
  • 試験が始まったら試験を受けます。試験時間は30分ですが、正誤問題だけなのでそんなに時間はかからないでしょう。あと途中退室も可能です。試験時間が終了したら、同室の試験がすべて終了するまで待機します。
  • 全試験終了後、再び試験室に入室します。そこで合格発表があり、合格者は部屋に残って手続きをします。といっても免許に印字される住所などを確認するだけです。
  • 手続きを終えたら、案内されて免許の発行手数料を支払います。
  • ここでいよいよ免許の写真を撮影します。撮り直しとかはなく、座って撮ってはい終了~、みたいな感じです。
  • やることはここでおしまいです。あとは免許が発行されるまで1~2時間ほど待ちましょう。

 

朝試験場に着いたのが8:45ごろ、発行されて試験場を出たのが大体お昼の2時くらいでした。この辺は場所によってさまざまだと思いますが、参考までに。

 

 

以上です。

引越し備忘録

引越しでやらかしまくったのでやること備忘録(退去まで)

 

 

1.引越し先と入居日を決める

当たり前体操

 

2.退去日を決める

立ち会いが必要とか定休日の可能性があるので先に調べる

 

3.とりあえずゴミを捨てる

 

とりあえず捨てる。最近使ったことなかったらこの先も使わんから捨てる。早く捨てるに越したことはない。

 

4.持っていくものをリストアップする

当然ながら部屋にあるもの全部についてやる。3. で容赦なく物を捨てる勇気があればここのステップはだいぶ楽 

逆に3. をやらないとガチで時間かかるしあとから大事なものが出てきて「箱足らん!」ってなる。

 

5.引越し(荷物の運搬)の手配

家電を運ぶとなると自分ひとりでできる量ではないと思う

 

6.粗大ゴミや一般ゴミを出す算段をたてる

車とかあると楽だよね、まあないんだけど。

その場合は業者になるけど時期によって結構お金かかるので注意

 

7.ライフラインまわりの連絡

閉じる方も開ける方も大体1週間くらい前にやるといい、直前はバタバタするので

 

8.荷物をまとめる

引越し日から遡って3日くらいは部屋でいつも通りに日常を送ることを諦めろ

ぐらいの余裕を持つつもりで

 

9.掃除する

普段からこまめに掃除しておくと良い(それはそう)

 

 

 

全体的な総括

 

物が多すぎる。オタクか?

 

 

 

 

 

 

 

 

死んだ人は冷たい

こんばんは。久しぶりに書く記事がこんなタイトルですいません。お察しの通りの内容なので無理な人は避けてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下本文

7月に祖父が、今月には祖母が、立て続けに亡くなりました。祖母の葬儀が終わったので今の気持ちを残しておこうと思いブログを書くことにしました。

 

どちらも大学に入るまで10年以上実家で一緒に生活していた人です。ここまで身近な人の死に直面するのは初めてだったので、なんというか受け止めるのに時間がかかりました。どちらの死の瞬間にも立ち会えなかったのもあると思います。

 

実家の仏間で棺に入って眠っているのを見てもあんまり息をしていないという実感はなかったんですけど、触ってみると本当に人間なのかというくらいに冷たくて、とても怖くなりました。生きていたとは思えないくらいの冷たさでした。この話は祖父の時だったんですけど本当に怖かったので祖母には触ることができませんでした(今は「それでも触っておけば良かった」という後悔が少しだけあります)。

 

 

出棺や告別式の前には香典の受付を任されていました。いつ香典を渡す側になるかっていうのもなかなか分からないので、その作法とかを実際に学べたのはいい経験だったと思います。

祖父母と一緒に生活していたのもあって、参列者の中には「まあ(私の本名)くんおっきくなって」と私のことを覚えていて声をかけてくれた方もいました。そういう方々が口々にお悔やみ申し上げます、とおっしゃるのも(死の実感がない私には)不思議に思えました。

 

少し現実的な話をしますが、香典は一連の葬儀の間ずっと持って歩くので、厳重に管理しないといけません。結構これを狙ってくる不届き者がいるようです(幸い2回とも無事でした)。

 

 

告別式は、文字通り別れを告げる式でした。仏教徒であれば、お経をあげて貰い、焼香をし、法名を授かって、棺にお花や思い出の品を入れ、出棺して火葬場に向かう、というのがまあ大体の進行だと思います。棺に品物を入れる(これは親族がメインなのかな)、というターンになってようやく、故人が故人なんだなと思えて悲しくなりました。祖母は私に百人一首を教えてくれた人だったので、読み札と取り札のセット(これは生前祖父が贈ったものでした)を入れました。その時に祖母の好きだった札と名前にちなんだ札を入れようと私から申し出ました。せめて最期くらいは何か出来ないかと思って、と考えた時にようやく最期なんだということに思い至ったんだと思います。めっちゃ泣きました。母(祖母の娘です)と妹も泣きながら手伝ってくれました。

 

 

あとは火葬ですが、本当に骨しか残りませんでした。その骨も人によって様々で、祖父は最期まで大きな病気もしない健康体だったのに対し祖母は2年以上入院生活をしていたからか、骨の量は倍くらい違いました。それもまたなんというか、故人を偲ぶ、という意味で悲しかったです。

 

 

しかし、葬儀を一連の流れに沿ってつつがなく終える、というのは気持ちの区切りをつける上で非常に有効なものでした。悲しくはあるのですが、それを引きずることなく、自分の人生を生きていこう、という気持ちになりました。特にうちがそういうような教えをいただく宗派であったからというのも多少はあると思いますが、それでも式を終えてひと段落つく、という現実とのワンクッションが役立っているのかなと思います。

 

 

 

他にももうちょっとなんかあったんですが、あんまり詳しく書くと家がバレてしまったりしそうでちょっと怖いのでやめます。気持ちの整理も兼ねて、ということで、おじいちゃん、おばあちゃん、お許しください。近い時期に2人して旅立つくらい仲の良い夫婦なので、向こうでも仲睦まじくやってるでしょう。

ずっと見守っていてください。ありがとう。

 

 

平成

終わりましたね、平成。

 

元号が変わる瞬間を待つってすごい経験を出来たなあとちょっと嬉しくなってる自分がいます。もしかしたらこれから先は生前退位が当たり前になったりするかもしれませんけど、少なくとも現時点では202年間誰も経験した人がいなかったことを目の当たりにした訳ですからね。202年って、世紀が変わるよりレアなことですよ。スケールがでけえ。

 

平成のうちに社会に出ることは無かったぼくが「平成時代はどうだった〜」なんて喋れることはありませんし、令和時代がどうなっていくかというのも知る由がありませんが、ぼく個人としては、まあ毎日しっかりと進んでいきたいと思います。毎日は辛そうなので2,3日に1歩くらいでも良いな。

 

改元記念パピコでした。おわり

数学について。

今自分は大学院の数学専攻に所属しているのだが、数学を勉強するのはとても楽しいな、と日々思っている。

 

 

何が楽しくて数学をしてるのかといえば、やはり分からなかったことが分かる瞬間というのが好きだからである。考えることはたしかに好きではあるが、答えが出ないまま何時間も考えるのはあまり良いものではないと思う。ましてこれが何十時間とか何日とか何週間とか何ヶ月とか何年とかという長い時間であれば尚更であろう。困ったことに自分は飽き性なので、このオーダーの時間でものを考え続けるのは多分無理だ。

 

 

しかし、問題の解決を見た刹那、この長時間の苦痛から解放され、脳内に光が満ちる。今まで宙を舞っていた言葉や数式が、はっきりと意味を持って整列する瞬間というのは何度見ても壮観な眺めである。はまらなかったピースに合うような別のピースが見つかるとか、繋がらないと思われていた2つを過不足なく繋ぐ鎖が組み上がるとか、なんというか「あるべき場所にあるべき物が戻っていく」感覚にとても興奮するし、感動を覚えるのだ。

 

 

どんなものにも背景に普遍的な事情があって、それが形になって現れたものを我々は普段見ている、と思うことがある。多分ずっと自然科学に興味を持ってその世界を見てきたからかもしれないけど。割と世界は「なるようになる」「どうしようもないことがある」みたいな法則を持っていて、どう足掻いても出来ないことは全然ありそうだ。努力次第で何でも叶う、というのとは一見矛盾しそうだけど、「何でも」というのは想像しうる範囲の事象だけであって、どうしても無理なものはそもそも想像すら出来てないんじゃないかな。

 

 

閑話休題

 

 

 

 

数学もきっとそうで、個々人では彼ら(自分も含めて)が想像しうる範囲の現象しか証明できないし、こうなって欲しい、と考える摂理だけが正しいとみんな考えてるように思う(というか、上述のように想像しえないものについて語る言葉というものは持っていないから)。ただし、数学には絶対的な論理の制限があって、そのルールに則ることで他者との議論が成り立つという側面は大いにあると考える。これが数学が「科学の言語」と呼ばれる所以であろう。

 

 

もちろん、この「絶対的な論理の制限」について議論する数学があるのもなんとなくだけど知ってはいる。でもそれも何かしらの制限の上にしか成り立たないはずで、それはやっぱり世界にとってのある種の正しさが保証されたものなんじゃないかなぁという気がする。

冒頭で「わかることが楽しい」と書いたけど、数学を形作る「正しさ」というものに惹かれて数学にハマっているんだと自分では思います。曖昧なものは掴めないし、掴んだ実感もきっとないけど、数学という枠組みにおいてその曖昧さは許されない。それこそが僕の考える数学の魅力。

頭の中身

Twitterでは、140字以内に自分の頭の中身をなるべく過不足なく誤解も最小限になるよう言葉を選んで投稿しているけど、じゃあ文字制限無しで喋れと言われてもなかなか難しい。文字に起こす前に無意識に言葉の取捨選択っていうのが結構行われているんだなあと感じる。


ということで、何も整理しないで思ったことを全部書いてみるという実験にこのブログを使わせていただきたい。テーマはなんでもいいんだけど。