死んだ人は冷たい

こんばんは。久しぶりに書く記事がこんなタイトルですいません。お察しの通りの内容なので無理な人は避けてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下本文

7月に祖父が、今月には祖母が、立て続けに亡くなりました。祖母の葬儀が終わったので今の気持ちを残しておこうと思いブログを書くことにしました。

 

どちらも大学に入るまで10年以上実家で一緒に生活していた人です。ここまで身近な人の死に直面するのは初めてだったので、なんというか受け止めるのに時間がかかりました。どちらの死の瞬間にも立ち会えなかったのもあると思います。

 

実家の仏間で棺に入って眠っているのを見てもあんまり息をしていないという実感はなかったんですけど、触ってみると本当に人間なのかというくらいに冷たくて、とても怖くなりました。生きていたとは思えないくらいの冷たさでした。この話は祖父の時だったんですけど本当に怖かったので祖母には触ることができませんでした(今は「それでも触っておけば良かった」という後悔が少しだけあります)。

 

 

出棺や告別式の前には香典の受付を任されていました。いつ香典を渡す側になるかっていうのもなかなか分からないので、その作法とかを実際に学べたのはいい経験だったと思います。

祖父母と一緒に生活していたのもあって、参列者の中には「まあ(私の本名)くんおっきくなって」と私のことを覚えていて声をかけてくれた方もいました。そういう方々が口々にお悔やみ申し上げます、とおっしゃるのも(死の実感がない私には)不思議に思えました。

 

少し現実的な話をしますが、香典は一連の葬儀の間ずっと持って歩くので、厳重に管理しないといけません。結構これを狙ってくる不届き者がいるようです(幸い2回とも無事でした)。

 

 

告別式は、文字通り別れを告げる式でした。仏教徒であれば、お経をあげて貰い、焼香をし、法名を授かって、棺にお花や思い出の品を入れ、出棺して火葬場に向かう、というのがまあ大体の進行だと思います。棺に品物を入れる(これは親族がメインなのかな)、というターンになってようやく、故人が故人なんだなと思えて悲しくなりました。祖母は私に百人一首を教えてくれた人だったので、読み札と取り札のセット(これは生前祖父が贈ったものでした)を入れました。その時に祖母の好きだった札と名前にちなんだ札を入れようと私から申し出ました。せめて最期くらいは何か出来ないかと思って、と考えた時にようやく最期なんだということに思い至ったんだと思います。めっちゃ泣きました。母(祖母の娘です)と妹も泣きながら手伝ってくれました。

 

 

あとは火葬ですが、本当に骨しか残りませんでした。その骨も人によって様々で、祖父は最期まで大きな病気もしない健康体だったのに対し祖母は2年以上入院生活をしていたからか、骨の量は倍くらい違いました。それもまたなんというか、故人を偲ぶ、という意味で悲しかったです。

 

 

しかし、葬儀を一連の流れに沿ってつつがなく終える、というのは気持ちの区切りをつける上で非常に有効なものでした。悲しくはあるのですが、それを引きずることなく、自分の人生を生きていこう、という気持ちになりました。特にうちがそういうような教えをいただく宗派であったからというのも多少はあると思いますが、それでも式を終えてひと段落つく、という現実とのワンクッションが役立っているのかなと思います。

 

 

 

他にももうちょっとなんかあったんですが、あんまり詳しく書くと家がバレてしまったりしそうでちょっと怖いのでやめます。気持ちの整理も兼ねて、ということで、おじいちゃん、おばあちゃん、お許しください。近い時期に2人して旅立つくらい仲の良い夫婦なので、向こうでも仲睦まじくやってるでしょう。

ずっと見守っていてください。ありがとう。